00008 題知らず 加賀左衛門

巻一・春上

【歌】

新しき春は来れ共身にとまる年は帰らぬ物にぞ有りける

あたらしきはるはくれともみにとまるとしはかへらぬものにそありける

 

 

【通釈】

新しい春は来るけれど身にとまる年齢は元に戻らないものだなぁ

 

 

【作者】

加賀左衛門(かがのさいも)

 

 

【感想・その他】

「ども」は已然形について「~のに」、「~けれども」と言う逆接を表すので、「新らしき春は来る」けれど「身にとまる年は帰らぬ物」だということになる。

春は来るけど帰らないという風に言葉だけ対比すると逆接と言うことも分からなくはないけど、新しい春が来るから年取って以前のままではないということでそもそも内容に関しては感覚的に逆接なの?って思うのですがどうなんでしょう。

片一方が進んでて片一方が戻らないことを表現しているからそれらを結ぶために逆接の接続助詞が使われているという理解でしょうか。(戻らないのは進んでいるからじゃないなんて言ったらダメなんですね)

どなたか教えてください。

 

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